夢を見た。
いつもの夢だった。
だから今さら、なにも思わない。
いつものように支度をして、毎日が始まる。
あの頃私は、まだ学校を出たてだった。
人に褒められる金色の髪。
素知らぬ顔をしてたけど、でもちょっと嬉しくて、お団子に結うときにいつも誇らしかった。
ううん、別にきれいだねって褒められるのが嬉しかったわけじゃない。
「キミのその髪、丸くまとめたらまるでエルシモアラウカリアの化石のようだね」
ヘンなこと言う人、って最初思った。
でも。
そのあと図鑑で調べて見た、エルシモアラウカリアという名の古い南洋スギの琥珀の絵が。
美しいって思ったから。
あの頃私は、一生懸命だった。
研究室に通って、あらゆる資料に埋もれて、時間を忘れて没頭した。
「わからないこと」を見つけたくて。
だってほかに知らなかった。
「わからないこと」を聞きに行く。それだけが、話しかける理由だった。
「やぁ、また質問かい? ルクスス」
あの人はいつも、ちょっと頼りない顔で笑った。
「先日アルテパから持ち帰られた化石なんですけど、年代の特定で少し迷っていて。」
「ふむ・・・でも僕なんかに聞くより、
ヨランオラン院長に聞いたほうがよくわかると思うけど」
「でも、ヨランオラン院長のところには
さっき口の院の院長様がいらして、新しい魔法の属性を検証しろって」
突然、となりの研究室から響く爆音。と同時に轟く高笑いの声。
瞑想中のまわりの研究員も、びくっとして跳ね起きた。
「・・・院長は、あたしの質問に答えているお暇はなさそうなんで。」
「たしかに。」
ちょっと困ったように笑うと、あの人は化石を受け取った。
考古学。
それが、あの頃の私の研究だった。
こんな研究をしている人は、鼻の院にもあまりいない。
普通、みんな動物の生態学か植物学かを専攻する。たまにあるのが魔法の属性研究。もっともこれは口の院の専門ともかぶる。
鼻の院の研究は、技術開発もかねている。
だから創造性のすくない考古学は主流じゃなくて、わざわざそんな研究を選ぶ人は、実力があっても、変わり者だと言われていた。
でも、考古学は、真実を追究することだって。あの人は言っていた。それは、ものすごく魅力的で。私はすぐに、その魅力に夢中になった。
「キミは本当に優秀だね、ルクスス。」
そう言って褒めてもらえるのが、単純に嬉しくて。
「だけど真実は、必ずしも『正しいこと』じゃないんだよ」
ときどき、あの人はふっと顔を暗くしてそう付け加えた。
「でも、イルクイル先輩・・・」
「真実は、いつも人に優しいわけじゃない。
知りたくないこと、目をつぶらなきゃいけないことも、この世にはある。
真実を求めて、真実を明らかにすることで、何かを傷つけることもある。
僕らはそれを、いつも知ってなきゃいけない。」
あの人はそういって笑う。その笑顔がいつも少し頼りないのは、その恐れのせいかもしれない。
「でもね」
目の前に差し出された小さな小瓶。うながされて蓋をはずすと、ふわりと、たまらないやさしい匂いが鼻をかすめた。
「考古学も、なにかを生み出すことができる。」
そういってあの人は、机の上の花の化石を指した。
「まさか、これ・・・」
「成分を抽出して分析して、再現してみたんだ。まだ納得できない部分もあるんだけど。」
あの人はそう言って、小瓶と化石を私に渡した。
「続きはキミがやってごらん、ルクスス。
キミなら完成できるだろう。」
あの人が秘石調査隊として旅立ったのは、まだ暗い朝だった。
池からたちのぼるもやが鼻の院を包み、消えかけの魔光草の明かりがにじんでいた。
「じゃあ、行ってくるね。」
見送りの群れに向かって、あの人はそう言って笑った。
「気をつけて・・・無理しないでください。」
ヨランオラン院長が、そっとその手を握る。
「ありがとうございます」
まるで最後みたいに手を握り返して、あの人が答えた。
そうして、歩きだそうとする。それを見ていたら、何故だかたまらなくなって。
「先輩・・・!」
思わず、呼んでしまった。
行こうとしていた背中が止まる。と、こちらを振り返って。
「ルクスス、あとを頼んだよ。キミは本当に優秀だ。
キミがいれば、僕のやり残した研究も心配いらないだろう。
鼻の院に、キミがはいってくれて、本当によかった。」
あの人は笑った。ちょっと頼りない、いつもの・・・どこか淋しげな笑い。
「・・・キミが、こんなに優秀じゃ、なかったらなぁ。」
夢は、いつもここで終わる。
あのとき、私は動けなかった。
すぐに目を伏せて歩きだしてしまった先輩の背中に、もう、声が、でなくて。
あの人が、行方不明になった。
そのあとすぐに、戦争が起こった。そして、勝利した。
その前のことなんか忘れたかのように、国中が平和を祝った。
鼻の院の院長になり、私はすぐ北の地へ調査に旅立った。
あの人は、もう死んだという人もいた。
でも、私は信じない。
希望? ちがう、そんなのじゃない。
遺体も、遺品さえ見つかっていない。まだなにも、証拠がない。
真実を裏付けるためには、憶測ではなく、確実な検証と、動かない証拠がなければならない。
私は、研究者だ。
非科学的な推測なんて、信じない。
あの人のしていた、北の地の研究をなぞる。
ときどき、あの声を思い出す。
「ルクスス、あとを頼んだよ。キミは本当に優秀だ。
キミがいれば、僕のやり残した研究も心配いらないだろう。」
あのとき、先輩は私にそう言った。
ああ、でも。
あたしは優秀なんかじゃありません。
先輩がいなかったら、あたし、研究なんて、なにもできませんでした。
澄ましたフリして努力してみたって
ほんの小さなことで 浮かれたり 心揺れたり
泣いたり 立ち上がれなくなったりする
普通の、ほんとにどこにでもいる、ただの、あさはかな小娘です。
そう言ったら、先輩はどんな顔をするだろう。
怖くて、でも必死で伝えたくて、なのに声がでなくて。
暗く遠い向こうへ歩き去る背中がどんどん小さく遠くなっていく。
夢は、そう、いつもここで終わった。
けど。
今朝は違った。
歩き去る先輩の後ろ姿が、ふ、と止まった。
そうして、こちらを振り向く。と、いつもの笑顔。
「・・・さよなら。」
視線が合った。あの、少し淋しげな笑顔で、先輩が言った。
目が覚めたとき、少し頬が濡れていた。
顔を洗い、鏡を見て思い出す。
ああ、早く帰らなきゃ。
ウガレピの調査に時間をとりすぎた。鼻の院の研究員たちもきっと心配している。後に残してしまった氷河の調査班も気になる。
それに・・・うん、まだまだやらなきゃいけないことが沢山ある。
「こらこら、リーペホッペ。何を暴れているのです?
あたしなら、ちゃんと帰ってきましたよ。」
「!!!
ルクスス院長〜! おかえりなさいだっぺ!」
そう、私は、ちゃんと帰ってくる。
黙っていなくなったりしない。 どこかへ消えたりしない。
自分の役目を果たす、責任があるから。
思いを残して途中で、消えてしまったりしない。
かならず、あの人の答えを探し出す。
それくらいが、私が継げる最後のことだから。